その後――九郎(義経)と別れた後
その場に残った静は頼朝の追っ手に捕らえられた。

そして、その身柄を鎌倉の御所へと送られた静は、
九郎の兄であり、今や朝廷の権力とも匹敵する鎌倉武士の棟梁である源頼朝の前に引き出されたが、頼朝を前にしてもひれ伏すことはしなかった。

「では、そなたは弟の――九郎の行方は知らぬと、こう申すのだな?」
「はい」

その強い視線はただまっすぐに頼朝を見据えていた。
まるで、何も悪いことはしていないというように。

だが、対する頼朝がそんな静の態度を快く思うはずはない。

(京の女と聞いていたが、これかあの九郎の愛妾か・・・?!
・・・・・・・気に入らぬ!)

苦々しく思った頼朝の脳裏に、ふとある考えが浮かび
つと、身を乗り出した。

「時に・・・そなた、舞の名手であったな」

ニヤリと笑う頼朝の顔を前に、
静の瞳に初めて動揺が走った。




      ◇       ◇       ◇



一刻後。
ぱたぱたと音をたてて御所の廊下を走る女性が一人。

「あなたっ、あなたってば、待って下さいな」

彼女は先を歩いていた頼朝に追いつくと、息を切らして言い放った。

「あなたっ、静殿を見世物にするおつもり?
なんって無慈悲なのっ」

それを聞いた頼朝は、ため息をついた。

(こいつはまた口出ししおって・・・)

北条家の一の姫であり、頼朝の正妻・・・政子。
彼女は強くて優しくて情の深い女だが、少しばかり直情すぎるきらいがあると頼朝は思う。

「・・・お前だって、静の舞を一目見たいと言っていたじゃないか」
「そっ、それはそうですけどっ!!
でも、いくら九郎殿の女とはいえ、静殿を大衆の目にさらし者にするなど可哀相ではありませんかっ」
「まあ、落ち着け! そうは言うが考えてもみろ。
静は一応謀反人の九郎の愛妾だぞ。
武士たちは静のことを快く思ってはおらぬ。
だが、我が源氏の信仰厚き八幡さまに静の見事な舞を奉納すれば、風当たりも弱くなるではないか」
「ま、まあv」

その言葉を聴き、
あなたって思慮深い人だったのねっと感激する政子だったが、
舌を出して立ち去る頼朝には気がつかなかった。





そんなことも知らず、政子はいそいそと静の元を訪れた。
一刻も早く頼朝の好意を伝えたくて。
そして、静を安心させたくて。

実を言うと、政子は会うまでは静のコトを快く思っていなかった。
京の女なんて・・・白拍子なんて・・・
ましてや正妻がいるにもかかわらず、妾なんて言語道断。
政子自身、頼朝の妾に激怒したことがあったから余計にだ。

そう、思っていたのに。
連れてこられた静本人を目にして、今や謀反人となってしまった義弟九郎義経の愛妾を政子はなぜだか憎めなかった。
頼朝を前にしても、少しもおどおどしたところがなかったからかもしれない。
それとも、一人の人を想う静に共感したのかもしれない。
どこか自分と似ている気がする・・・そう思う政子だった。

しかし・・・

「そうですか・・・御所さまがそのような・・・」

政子から頼朝の言葉を聞いた静は、
喜ぶことはなく顔を曇らせたままだった。
政子は内心がっかりしながらも、静を励まそうとした。

「ですからねっ、静殿は堂々と舞ってくださればよいのですよ。
何も心配はありませぬ」
「・・・ご厚意ありがたく存じます、御台さま」

静は深く頭を下げた。が、言いかける。

「でも・・・」
「え?」
「でも、御所は・・・九郎殿を殺しておしまいになる・・・」
「!!」

視線をそらせながらもはっきりと言い放った静の言葉に、
政子は衝撃を受けた。

確かにどんなに美しい言葉を並べ立てても、義経が死を免れることはないだろう。
それがどんなに頼朝に血が近くても、いや、なおさら武士を統括する者として頼朝は厳しい裁断も下す。
だからこそ謀反人として追ってを差し向けたのだ。
そして目の前の愛妾はそれを覚悟している。
だが、それだけではなかった。

静はなおも言ったのだ。
涙をあふれさせながら。

「なのに・・・この静に喜びの舞をせよとは・・・
いったいどういうことなのか・・・」
「!?」

この時――政子ははじめて頼朝の真意を知った気がした。
あの人は好意から静の舞を所望したわけではない。
これもまた一種の見せしめなのだと。
それを知ったとしても、政子にはもうどうしてやることもできない。

泣き叫ぶこともなく、助命を請うこともなく、愛する人の死の覚悟し、なおかつ肩を震わせながら頼朝を批判するこの賢い女性を、政子はただ哀れに思うのだった。






       ◇      ◇       ◇






その日、鎌倉の鶴岡八幡宮は民がごった返していた。
皆、噂の静御前の舞を一目見ようと舞台を遠くから見守っている。

やがて・・・静御前が宴の時のように白拍子の格好をして現れると、
人々の間からざわめきが起こった。

「おおっ、あれが評判の・・・静御前か・・・!」
「判官殿の愛妾か!?」
「美しいのう、さすが京の女じゃ」

噂に上る静御前の姿を、政子は御簾を通して見守っていた。
今、彼女は何を思っているのか・・・
無表情に立つ姿は痛々しく政子の目に映った。

政子の隣には舞を命じた頼朝もいた。
が、表情からは何も読み取れない。
ただ静の舞を見極めようとじっと見ているだけだった。

そうして・・・笛の音と鼓の音が響き渡り始めると、
人々のざわめきもピタリと止んだ。

静は舞台の真ん中に進み出て舞い始める。
扇を広げ、袖を振り・・・
静の舞はまるで蝶のように美しかった。
だが、それは八幡の神に奉納する艶やかな舞ではなかった。
彼女はただ一人のために舞っていたのだ。


舞いながら静はつと口ずさんだ。



 ・・・ しづやしづ  しづのをだまき 繰り返し
              昔を今になす よしもがな ・・・



 ・・・ 吉野山 山嶺の白雪 踏み分けて
              入りにし人の 跡ぞ恋しき ・・・




それは別れた九郎を恋い慕う歌。

もう一度、あの人と過ごした頃に戻れるすべがあったなら・・・・

そんな彼女の悲痛な叫びだった。





生きて、



        生きて、



                生きて・・・・・!!





その静の想いに政子は胸を打たれた。

こんな強い女性は知らない。
敵前でただ一人、
心細いだろうにあんなにも堂々と言える人がいる。


「どうか愛する人の命を奪わないで下さい」・・・と。


気がつくと、隣にいたはずの頼朝の姿はなかった。



静の祈りは届いただろうか・・・
今頃遠い北の国にいるだろう彼の人に。






       ◇       ◇       ◇






「御曹司・・・・?」
「ん・・?」

不意に声をかけられ、九郎は振り向く。

「どうか・・・しましたか?」
「ああ・・・なんでもない。 ただ・・・・見ろ」
「は? 桜・・・ですか? それが何か?」

弁慶は九郎に倣って、目の前のたくさんの枝を見上げる。
まだ花も葉もない寒々しい枝たち。
だが別段珍しいものでもない。
弁慶が首をかしげていると、九郎はポツリとつぶやいた。

「蕾・・・・。もう初夏だというのに、まだ咲かないのだ。この地では・・・」
「・・・・・・・・」
「いったい・・・いつになったら、咲くんだろうな・・・」

九郎のつぶやきに、弁慶は何でもないことのように答えた。

「しかし御曹司。
そう焦らずとも、花はいずれ咲くもの・・・違いますか?」

それを聞いて九郎はフと笑った。
そうして空を仰ぎ見る。

「そうだな・・・」




たしかに花は咲くだろう・・・・

しかし、その時間のなんと短いことか・・・・


京では。

京ではもう、散っているだろうに・・・・









      ――それは見事な
             舞のごとく――

















《あとがき》
読んでみてのとおり?メインは九郎というよりも、静です。静御前は本妻でもないのに人気ありますよね。本妻から見たら妾なんて苦々しい存在だと思いますが、強い女性は憧れます。ここでは九郎の母、常盤御前との生き方の比較などを密かに念頭に置いてみました。








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