茜草紙〜はじめの話〜



あるところのある山に鬼の一族が住んでいました。

彼らは小さな角と牙があるということを除けば、ほとんど人間と変わらない姿で
里に住む人間たちと同じように暮らしていました。

しかし、山に寄りつかない人間たちはその山に『鬼が出る、鬼が出る』と言うものの、
いったいどんなモノが鬼なのか、はっきりと知らなかったのです。

もしかしたら、あのギョロリとした目をして金棒を持ってふんぞり返っている鬼の姿は、
人間の恐怖心から生まれたものかもしれません。

彼らにだって、毎日毎日様々なドラマがあるのです。

ほら、お山のてっぺんにあるお邸の中でも・・・・




           ◇     ◇    ◇



《其の一》


「姫、殿がお呼びです」

奥の間の入り口で、端正な顔立ちをした青年が中に向かって声をかけていた。
しかし、し――――んと反応はない。

「姫!?」

彼は前より大きめの声でさらに叫ぶ。
すると、目の前の襖がガラリ!と開き、ムッとした顔の少女が立ちはだかった。
人間でいえば、十五、六の歳か・・・。怒った顔が可愛い。

「うるさいわねー、聞こえてるわよ!今いいところなんだから邪魔しないでよね!ふんっ!」

早口でそう言うと、彼女はピシャン!と派手な音をたてて再び戸を閉めてしまった。

「は・・・・?」

青年は訳が分からず、そっと襖を開け中を覗いてみた。すると・・・

(・・・・・・)

かの姫君は煎餅をバリバリかじりながら、書物を読みふけっていた。
そのタイトルは『ある深〜い恋の物語』とある。
しかも彼女はうっとりとした面持ちでほお・・うっとため息なんかついたりして・・・
そんな雰囲気をブチ壊すように、青年は言った。

「姫、殿が!」

途端、姫君はキッと戸口を睨んで怒鳴った。

「うるさいって言ったでしょ!あんたってば、まだいたの!?藤丸。
あんたもあたしのお守り役だったら、適当に理由をつけて断ってきてよね!」

しかし、青年−藤丸はあくまでも冷静に応対する。

「そうはいきません。今日は大事の用だとかで、引きずってでも連れて来い、と」

そこまで言われては、なすすべがないと思いきや、

「あっ!痛たたたたた・・・」

不意に、姫君はお腹を押さえながら体を深く折り曲げ、苦悩の表情を見せた。

「どうしたんです?」
「あたたたっ・・・お腹が急に痛み出して・・・いたたっ・・
きっとお煎餅の食べすぎに違いないわ。
・・・くっ・・・痛いよぉ・・こ、これじゃあ、とても動くことなんてできないわっ」
「・・・・・・」
 「いたた・・・!何ボーッと見てんのよ、気がきかないわね!
つつつ・・・さっさと伝えに言ってよぉ
・・・あー、痛いー死ぬーっ!」

今までその様子を眺めていた青年は、ようやく口を開いた。

「そうですか。では、失礼します」

そう言うや、彼はスタスタと中に入り、お腹を押さえている姫君をヒョイと抱き上げた。
慌てたのは姫君である。

「え!?ちょ、ちょっと藤丸!離してよ!
何考えてんのっ、嘘じゃないわよ!本当なんだからァ!」

されど、藤丸は暴れる姫君をものともせず平然と部屋を出て行く。

「ちょっと聞いてんの!?こらっ何とか言え!鬼ーあくまー!人でなしーっ!」

その声は邸中に響き渡ったそうな・・・。




           ◇    ◇    ◇



 その部屋には、わずかに高くなっている壇上に一人の威厳にみちた男がでんっと座っていた。
しかし、自分の娘を引きずって現れた青年の姿を目にすると、彼は深いため息をつく。

(やれやれ、やっと来たか・・・)

そう、彼こそはこの山の統治者であり、鬼の一族の頭なのであった。
頭といっても、それほど老けているわけではない。鬼は人間ほど早く年を取らないのである。

 ところで、姫君は・・・というと、すっかりふくれている。

「これ、茜。姫とあろう者がそんな見苦しい顔をするでない。
お前はこの夜叉王の娘なのだぞ、自覚をせんか」
「べーたっ!自覚なんてあるわけないよーだ!
ついこの間まで人間として過ごしてきたんだからね!
それに姫なんてよばないでくれる?!柄じゃないわよ。
ましてや鬼の姫なんて・・・!」

そう言って、姫君−いや、茜はプイとそっぽを向いた。

「茜、だから言ったではないか。これには深〜いわけがあったのだと・・・」

(ま、まずい・・・!)

夜叉王がこう言う時、続く話は決まっているのだ。
それは茜にとって、決して楽しい話ではない。

(やれやれ、また始まった・・・)


今度は茜がため息をつく番だった。





       ◇     ◇     ◇



 
さて、夜叉王の語った深い訳とは、こういうものだった。

夜叉王がこの山の頭となって間もない頃、
彼は亜季という人間の娘と出会い、互いに惹かれあったという。
一族の反対もあったが、彼は押し切ってその女性と夫婦になった。

それからは何事もなく過ぎていくように思われたが、女性が女児を出産してしばらくたったある日、突然事件は起こった。

生まれて間もない赤ん坊が、かねてから2人の婚儀に反対していた輩によって攫われ、行方が分からなくなってしまったのである。

そのため、母親の亜季は悲しみのあまり、ついには儚くなってしまったのだという。

 その後、夜叉王は女児の行方を方々捜したけれども、見つからないまま十数年がたった。
そして、とうとうある小さな村で亜季そっくりの顔立ちをした娘を見つけたのである。

「それが、お前なのだ。茜」

なかなか感じる話ではあるが、茜にはまるで絵空事のようにあまりピンとこなかった。
しかも、暗記できるほど聞き飽きている。

(そりゃね、分かる気もするわよ。
あたしだってずっと一人ぼっちだったし、そのせいで嫌な目にもあった。
けど、今更現れて『父だ』なんて言われてもね。
言えないわよ、やっぱし・・・その、『父さま』・・・なんてさ。
ましてや、『父よ!』『娘よ!』で、ヒシッ!と抱き合う親子の図なんて考えられないわよね)

そんな茜の気持ちを知って知らずか、夜叉王は更に言葉を続けた。

「しかし・・・どういう育ち方をしたのやら、お前はひどく言葉遣いが悪いな。
亜季はもう少し品があったぞ。あれは一見たおやかに見えて芯は強かった・・・v」
「ハイハイ。・・・で、大事な用ってんでしょ。さっさと言ってよね」

まだしゃべり足らない夜叉王は不満げな顔をしたが、
肝心なことをまだ言っていないのに気づいて話を戻した。

「そうだった、そうだった。実はな、お前を呼んだのは他でもない。
そろそろ十五の儀をやらねば、と思ってな」
「じゅうごのぎ?何それ」
「おや、言わなかったか?
この山の若者は、人の世で十五の年になると一人前として認められるのだ。
その前に課せられる試練を越えることこそ『十五の儀』だ」

と当たり前のように言ってのけるが、茜にとってそうであるはずがない。
言うも何も今はじめて知ったことである。

「ちょっと、待ってよ!嘘でしょう?そんなの聞いてないわよ。
一人前の鬼ですって?!冗談じゃない!
あたしはまだここへ来て数ヶ月しかたっていないのよ。
そんなの無理に決まってるじゃない、横暴よ!」
「茜!!」

不意に叱咤が飛び、茜はビクッとした。思わず夜叉王の顔を見る。
それはいつもの穏やかなものではなく、茜が初めて目にする厳しい顔つきだった。

「いいか、茜。ムリかどうかはやってみなきゃ分からんだろう。横暴でも何でもだ。
たとえ人間で育ったとしてもお前にはわしの血が流れているのは事実。
ならば、ここのしきたりに従ってもらわねばならぬ。よいな」

有無を言わさぬ強い口調に、思わず茜はうつむく。
それを見た夜叉王はフッと表情を和らげ、言葉を続けた。

「で、ここから東の山を二つ越えたところに、小さいが町が開けておる。
そこでだ、そこの領主の一番の宝を二日間の間にここへ持ってくるのが、お前の試練だ」
「それって盗人と同じじゃないの」
「それではまたすぐに返せばよいのだ。

別に欲しいわけじゃ・・・あ、そりゃ宝は欲しいが、これは試練なのだからな。
気づかれないうちに持ってきて、気づかれないうちに返せばよいのだろう?
つまりお前の腕次弟というコトだ。」
「そんなムチャクチャな・・・」
「なーに、大丈夫だ。この短期間に出来はどうであれ教えることは教えたし。
もしもの場合でも・・・まあ、なんとかなるだろう。
心配することはない、お前はこのわしの娘なんだからな。
わっはっはー・・ま、頑張れよ」
「・・・・・・」

先ほどの威厳と打って変わったこの楽観的な口調に、
茜は内心唖然としながらノロノロとした足取りで部屋から出て行った。


(全くもう・・・いったい何考えてんのか、ちっとも分かんないよ・・・・)







「藤丸」
「は」

夜叉王は茜が出て行ったのを見届けると、
後ろに控えていた青年を呼び寄せた。

「・・・大丈夫かな?」
「そう言ったのは殿です」
「そりゃそうだが、それは茜の緊張をほぐすためにだな・・・ええいっ、藤丸!」
「は」
「やはり、茜を頼む!」
「とおっしゃいますと?」
「分かっておるだろう?イジの悪い奴め。
茜を陰ながら助けてやってほしいのだ。親バカと思うだろうが・・・」

と、夜叉王は頭を掻いた。が、ふと顔を曇らせ、

「のう、藤丸。わしは正直言ってどう接していいか分からんのだよ。
確かにわしの娘なのにな。あれほど亜季によう似て・・・。
わしは茜が可愛くて仕方がない。しかし、茜は・・・。
ムリに連れてきたのはまずかったのだろうか・・・?」
「そんなコトは・・・。
茜様はただ・・・そう、戸惑っているだけなのですよ、きっと・・・」

藤丸はいつになくやさしい表情でそう答えた。

「そう思うか?」
「はい・・」

それを聞いて夜叉王の顔は少し明るくなった。


「そうか・・・そうだな。あの年頃の娘は難しいものだからな。
はっはっはっ・・・・・・はぁーっ」

と最後に大きなため息をついた。

「それにしても、お前がいると心強いわ。もう立派なわしの片腕だ。
これがホントの『鬼の片腕』・・・なーんちゃってv」
「・・・殿」

藤丸の視線に気づいて、夜叉王は咳払いをした。

「あー、コホン。きっとお前の両親も喜んでいることだろうな」
「もったいないお言葉。私はただご恩を返しているだけなのですから」
「また水臭いコトを・・・」

夜叉王がそこまで言いかけた時、藤丸はその言葉を切るようにつと立った。

「では、私はこれにて・・・」
と軽く主君に会釈をすると、彼はなめらかな足取りで足早に部屋を出て行った。

「あ、こら!茜を頼んだぞ。・・・全く」

呆れた奴だと思いつつ、夜叉王は満足そうに青年を見送ったのだった。




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